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はじめに
ニューヨーク・マンハッタンでの一人暮らし。「家賃が高そう」というイメージは今も昔も変わらない。まずは2026年現在の相場感から見ていく。
【2026年現在】NY一人暮らしの生活費
マンハッタンで一人暮らしをする場合、目安となる生活費は以下の通りである。
- 家賃(1ベッドルーム):月4,000〜6,000ドル(約60〜90万円)
- 食費:自炊中心で月600〜800ドル(約9万〜12万円)、外食中心で月1,500〜2,500ドル(約22万〜37万円)
- 地下鉄:2026年1月から基本運賃3.00ドルに値上がりした。MetroCardは廃止され、OMNYによるタッチ決済に完全移行している
1980年代との比較まとめ
| 項目 | 1980〜90年代 | 2026年現在 |
|---|---|---|
| 家賃(1BR) | 月1,600ドル | 月4,000〜6,000ドル |
| 地下鉄 | 25セント〜 | 3.00ドル |
| 和食ランチ | 12ドル〜 | 30〜50ドル〜 |
※出典:RentCafe、Economy Insights、各種生活費データ(2026年)
家賃だけで見ても、この40年で約3倍以上に高騰している。では、実際に1980年代、銀行員としてマンハッタンに住んでいた頃の生活はどんなものだったのか。当時の記録を振り返る。
1980年代、銀行員として住んでいた頃
家賃と立地
住んでいたのはウエスト56丁目の24時間ドアマン付きアパートで、月1,600ドルだった。ブロードウェイにも近く、カーネギーホールも徒歩圏内。セントラルパークにも歩いて行ける、マンハッタンの中心部ならではの立地だった。家賃は高かったが、この環境は何物にも代えがたかった。
地下鉄
地下鉄はトークンを使って乗る時代だった。最初はクオーター(25セント)だったが、突然値上がりすることがあり、そのたびに財布の中身を確認したものである。今のOMNYのようなタッチ決済とは程遠い、アナログな時代の話である。
食費
銀行にはカフェテリアがあったが、メニューは高カロリーのものばかりだったため、毎日和食のお弁当を作って持参していた。健康管理という意味でも、節約という意味でも、自炊は欠かせなかった。
外食では和食は高級の部類に入っていた。それでもランチなら握り寿司が12ドル(チップ・税抜き)ほどで食べられる店もあり、時々の楽しみにしていた。
当時、手打ちうどんの店がオープンし、一杯20ドル(チップ・税抜き)近くした。高価に感じながらも、その味は格別だった。なかなか気軽に行けるような値段ではなかったが、それでも足を運んだ。
ちなみに、学生時代のウィスコンシンではカトリックの影響で金曜日は魚を食べる日だった。マンハッタンの銀行のカフェテリアの金曜日はアメリカ人が大好きなピザの日で、その日に限ってカフェテリアから日本人の姿が消えた。
当時のリアルな体験談
ドアマンあるあるエピソード
24時間ドアマンがいるということは、セキュリティが万全である一方、訪問者には厳しいルールが適用される。友人が来ても、顔がそっくりのいとこが来ても、私がフロントまで迎えに行かなければ通してもらえなかった。
ただし、一人だけ例外がいた。中華系アメリカ人の友人である。なぜか彼女だけはフリーパスだった。理由はいくつかある。
まず、彼女はクイーンズ在住で職場がマンハッタンだったため、ご主人が海外出張に行くたびに泊まりに来ており、毎週のように顔を出していた。さらに、私がフロントまで迎えに行くといつもハグをする明るい性格で、英語に問題がないため、いつの間にかフロントスタッフやドアマンと仲良くなっていた。その結果、ドアマンは彼女を私の姉だと思い込んでしまったのである。ちなみに彼女は私より年下だ。顔がそっくりのいとこですら例外にならなかったのに、不思議なものである。彼女は生涯にわたる私の親友だ。
美容院問題: 東洋人の髪はこんなに違う
NYに来て一番嬉しかったことの一つが、日本人経営の美容院に行けるようになったことである。
ウィスコンシン時代の美容師は腕は確かだったが、東洋人の髪質に慣れていなかった。少しずつ切るのではなく、ばっさりとハサミを入れるため、外側の毛だけが短くなってしまい、いつも手入れに困っていた。
また、アメリカの美容院で驚いたのは、学生がシャンプーもドライヤーもお願いせず、濡れたままの髪で帰っていくことだった。美容院がモールの中にあったため、そのまま買い物に行き、髪が乾いたら自宅に向かうという流れである。私がシャンプーとドライヤーのセットをお願いすると、逆に美容師に驚かれてしまった。文化の違いをこんなところでも感じた。
ダンススクール
ブロードウェイに近かったこともあり、ブロードウェイのダンススクールに通っていた。チケット制で、1枚でどのクラスにも参加できた。10回分で80ドルほどだったと記憶している。
ある日、何も考えずにヒップホップの初心者クラスに入ったところ、完全に場違いだと思い知らされた。生徒の多くはティーンエージャーで、黒人やラテン系が中心だった。リズム感もスタイルも次元が違う。腰の位置からして異なるのだ。
それ以来、クラスを選ぶ基準は「生徒の顔ぶれ」になった。白人や東洋人の多い初級クラスを選ぶようになり、ようやく自分のペースで楽しめるようになった。
当時は父が作ってくれた家族用クレジットカードのおかげで、お金の心配をしたことは一度もなかった。それから何十年か後、思いがけず大病を患うことになる。第40.7章:高額療養費制度・傷病手当金|がん治療で仕事を失った1年半のお金の話では、その時の家計の実情と、30年かけて学んだ「本当に必要な保険」についての結論を綴っている。



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