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時間が解決してくれることは多い。特に辛さや悲しさはそうだ。私の場合も、毎日を過ごしていくうちに、少しずつ気持ちが軽くなっていった。
そこで、親しい友人と会うことにした。事前に「自分の取り扱い説明書」を作って渡した。
1. 聞き取れなかったら何度でも聞き返すこと
(気を遣って聞こえたふりをしないこと。いずれバレるから)
2. 右の聴力が低下しているため、何度も聞き返す可能性があること
(その際は少し大きめの声で繰り返してほしい)
3. 食事に時間がかかるので、辛抱強く待つこと
私はリゾットを注文し、他の2人は好きなメニューを選んだ。久しぶりに声を出して笑った。
自分が思っていたよりも話が通じることに驚くと同時に、嬉しさが込み上げてきた。やっと気持ちが立ち直せそうだった。思っているよりも早く社会復帰できそうだ——そう思った矢先に、首へのがんの転移が見つかったのだ。
6週間おきに検査を受け、1ヶ月おきに診察も受けていたのに——茫然自失となった。
2つの腫瘍
首に大きな腫瘍が2つ見つかった。いわゆる悪性リンパ腫である。手術後に抗がん剤や放射線治療が必要となる可能性が高かったため、大学病院から国立がん研究センター中央病院に転院して、手術を受けることになった。早期発見だったにもかかわらず、今回もステージ2だった。
がんセンターにはアピアランス支援センターがあった。しかし説明を聞くうちに、髪を失った自分や、えぐれたような首の傷を想像してしまい、明るい気持ちにはなれなかった。社会復帰がますます遠のくように感じ、気持ちは沈むばかりだった。
手術を拒否しようとした
舌の傷は他人から見えないが、首の傷は隠せない。可能であれば手術を避けたい気持ちが強くなった。怪しげな民間療法まで探しだしては、問い合わせを繰り返した。
両親や夫に相談すると「自分で決めた治療法なら反対しない」と言われた。手術を受けず、抗がん剤と放射線治療のみを選択することを考え始めた。
しかし担当医に手術を避けたいと伝えると「切れば治るのに、なぜ嫌なの?」と不思議そうに聞かれた。「そんなに簡単なことではない。」怒りが湧いたが、何も言えなかった。
そんな時、薬剤師である幼なじみからこう言われた。
「トップレベルの病院の医師が言うことの方が正しいと思う」
その一言で、愚かな自分の考えに気づいた。手術を受ける決心がついた。
幸いにも
手術の結果、幸いにも浸潤は見られず、化学療法や放射線治療は不要となった。髪が抜けたり爪が黒ずむ心配もなくなった。不幸中の幸いだった。
ただし首の傷は大きく、スカーフが手放せない状態だ。何枚ものスカーフを購入した。
また最初から
翌々日から言語聴覚士とのリハビリが始まった。しかし発話は以前よりさらに不明瞭になり、再び絶望の底に突き落とされた。
半年近くリハビリを続け、ようやく以前より少しづつ明瞭に話せるようになったのに、また最初からやり直しだ。うんざりした。
しかし仕事をしていないこと、傷病手当や民間保険の手厚い保障があることで経済的な不安がなかったことが救いだった。健康な人には不要な民間保険も、私の場合は「不幸」という名の宝くじに当選したようなものだった。もちろん当たらないに越したことはない。
続きは第40章:病気が教えてくれたこと|字幕翻訳と新しい出発へ
※闘病や療養中は、一人で抱え込まず、主治医や家族、信頼できる友人、専門家に相談することも大切である。
※この記事は個人の体験談です。 医療上の判断は必ず担当医にご相談ください。



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