コラム:寮生活とアパートへの引っ越し|大根を育てようとした話

※本記事にはアフィリエイト広告が含まれています。

ジルとの出会い

入学直後に案内された寮の部屋は二人部屋でルームメートがいた。ジルという名の、そばかすが可愛らしい赤毛のアメリカ人女性だった。

英語もままならない私を、ジルは温かく迎えてくれた。言葉の壁はあったが、次第に打ち解けて友人になった。感謝祭やクリスマス休暇には彼女の実家に招待してもらい、アメリカの家庭のクリスマスを体験させてもらった。あの温かい記憶は今でも鮮明に残っている。

カフェテリアの食事

大学にはカフェテリアがあった。メニューは日替わりだったが、スープ、ハンバーガー、フレンチフライと変わり映えがしなかった。日本にいた頃からアメリカ料理には興味がなかった。むしろ「太る」と聞いていたので、渡米前から船便で山ほど日本食を送り込んでいた。その荷物の多さを見た母に「日本レストランでも開くつもり?」と皮肉を言われたほどだ。

留学生は1学期で寮を出られる

大学では2年生まで寮に入ることが義務付けられていた。しかし留学生だけは例外で1学期を終了すると退寮できた。寮は学期が終わる毎に退出しなければならなかったため、アメリカ人の学生は実家に帰宅できるが、留学生はいちいち帰国する事はできないからである。大学側からはアパートを借りることを推奨されていた。

アパート探しはそれほど大変ではなかった。友人の情報を頼りに、比較的すんなり部屋を見つけることができた。自分のキッチンができた瞬間、真っ先にしたことはもちろん和食を作ることだった。

大根を育てようとした話

一人暮らしが落ち着いてくると、無性に沢庵が食べたくなった。日本にいる時には漬物を食べる事などなかったのに不思議なものだ。しかし当時のウィスコンシンには大根が売っていなかった。ならば自分で育てようと、日本の実家から大根の種を送ってもらった。

植木鉢だと土の中で成長して縦に伸びる大根には不適切だと思い、縦長のゴミ箱を買って、公園から土を調達した。種を植え、毎日水をやり、芽が出てきた時には思わず声が出た。

しかしそこに悲劇が訪れた。預かっていた猫が、自分のトイレを使わず、なぜか大根の芽が生えたゴミ箱をトイレ代わりにし始めたのだ。芽が出ては掘り返され、また出ては掘り返される。根負けした私は、沢庵への夢をキッパリと諦めた。

1980年代ウィスコンシンで日本食を手に入れる

当時のウィスコンシンで日本食の食材を手に入れるのは容易ではなかった。シカゴまで車で7時間。そう簡単に買い出しには行けない。醤油はなんとか手に入っても、味噌は見つからなかった。大根に至っては、売っている店自体がなかった。

今でこそネット通販で日本の食材が手に入る時代になったが、今ではAmazonでも沢庵でも大根でも買える。あの頃の私が見たら、それでも羨ましいと思うだろう。

今となっては、大根がなくてもきゅうりやにんじんで手軽に漬物が楽しめる。泉万醸造のぬか漬けのたれがあれば、国産米ぬか使用で本格的なぬか漬けが自宅で簡単に楽しめる。それに切り干し大根という手もあった。あの頃の私に教えてあげたかった。

コメント