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Art Leagueに入るまで
同じクラスの友人に誘われた。一度、Art Leagueという美術館を巡るサークルの旅行に参加した。楽しかったので、そのままメンバーになった。
最初にこの仮のメンバーとして行った場所の一つはシカゴ美術館だった。シカゴ美術館は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ市内にある美術館である。ニューヨークのメトロポリタン美術館、ボストン市にあるボストン美術館とともに、アメリカの三大美術館の一つに数えられる。
美術史の授業で「この作品はシカゴ美術館に所蔵している」と教授の口から何度も語られていた。いつかその美術館を訪れたいと思っていた。
朝から始まる自由なバス旅
早朝、集合場所に行くと、予想以上に大きなバスが待っていた。参加者も顔見知りが多かった。ほとんどが芸術学部の生徒だった。バスに乗って驚いたことがある。朝なのに、すでに携帯用の酒入れを出してウイスキーや缶ビールを飲んでいる人たちがいたのだ。お酒は夜飲むものと思っていた私は先行きが心配になった。なんとなく美術館に行くというより、旅行をするような感じだった。
当然、教授もいないし課題図書もない。帰宅後にレポートの提出も不要だ。旅行と言っても間違いではない。
不安を感じなかったというのは嘘になる。芸術学部の生徒は日本の芸大の学生と似ていた。いやそれ以上かもしれない。かなり個性的で、非常に自由だった。大学ではArt Centerというビルの中に、演劇学部、音楽学部、そして芸術学部が入っていた。それぞれの学部は仕切られていた。真ん中には共通のラウンジがある、おしゃれな建物だった。
演劇学部の生徒は見目麗しい生徒が多かった。演奏会のある音楽学部の生徒は、白のシャツやブラウスに黒のパンツやロングスカートを着ていて、それに楽器を抱えていて優雅な印象だった。それと比較すると、芸術学部は個性の塊のような人が多かった。
個性豊かな芸術学部の面々
私の家庭教師のトレーシーは、こう言っていた。芸術学部のあるエリアに入るのには勇気がいる、と。少し怖いとも言っていた。毛色の変わった生徒は英語学部にはいないそうだ。とはいえ、私は割と普通だったと思う。ただ、作業が多いのでいつも汚い格好でいたのは事実だ。別のビルでの授業に行く時は、その汚れて穴の開いたスモックを脱いでから移動した。
朝だというのにすでにノリノリで音楽に身を任せている人、スナックや食事をしている人、爆睡している人もいた。そんな中で真面目にシカゴ美術館の本を読んでいる人がいた。この人は信じられると直感的に思った。それぞれがさまざまな時間の過ごし方をしていた。私は朝が早かったので、爆睡組の一人だった。
シカゴ美術館に直行するのではなかった。途中でランチを取ったり、「あそこに行ってみたい」といきなりバスが停車したりした。そこで休憩時間になることもあった。恐る恐る計画はないのかと聞いてみた。「そんなものあるわけないさ」とあっさり言われた。今夜泊まる場所さえ行き当たりばったりで決めるのではないかと不安になった。リーダーと思われる人に聞いてみた。「心配ないよ、安全な場所にある小さなホテルに予約を入れてある」と言われホッとしたのを覚えている。
ギャラリー巡りとデイブのグループ
一旦そのホテルの荷物置き場に荷物を置かせてもらった。歩いて小さなギャラリーを回りながら、シカゴ美術館で集合することになった。私は一番しっかりしていたデイブのグループについていった。彼はバスの中でも美術館の本を広げていた。
小さなギャラリーを巡っていると、時々絵を飾る場所に絵がないことがあった。売却されたのか、他の理由があるのかはわからない。絵画専攻の学生たちは、どうにかしてここに自分の作品を飾れないかと話していた。もちろん、無断でこっそり飾る計画だ。冗談にしては入念な計画だった。聞いていて、観たことのある映画のプロットのパクリが多くて楽しかった。
次の場所に移動する時、点呼確認はなかった。そのままギャラリーから移動するので、最初は10人近くいたグループの人数が少しずつ減っていった。最終的にシカゴ美術館に着いた時には4人になっていた。私はもちろん置いていかれたくなかった。作品に集中するよりも、常にデイブの側から離れないでいた。そんな様子の私に気づいたデイブが途中で声をかけてくれた。「ギャラリーを出る時には声をかけるから大丈夫だよ」と。それからは安心して作品に見入った。
シカゴ美術館の建物を初めて目にしたとき、感動よりも、むしろ懐かしさを感じた。美術史の授業で何度も写真を目にし、その名前を耳にしてきたからだ。実際に訪れるのは初めてなのに、まるで昔から知っていた場所のような、不思議な懐かしさを覚えた。カメラを持っていかなかったので、写真も撮ることなく、記憶に焼き付けようとただただ眺めていた。そういえばチケットを購入した記憶がない。おそらく任意の料金を払う寄付制だったのかもしれない。その当時はそのようなシステムの美術館が多かった。
スーラとの対面
ここを観た後はホテルに直行する。出口で待ち合わせ時間を決めて、各自で好きな場所を回ることになった。時間も限られている。私は絶対に観たかった作品があった。ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)の「グランド・ジャット島の日曜日の午後」だ。その展示室に直行した。恋焦がれた人に会いにいくような気持ちで、心が踊った。自然と早足になる。
そして出会った、その恋人に。「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のサイズは高さ207.5cm×幅308.1cm。確かに大きい作品だ。しかし私には、その実際の大きさ以上に巨大に見えた。まるで迫り来るような迫力に圧倒された。
色を混ぜずに小さな点を並べる。離れて見た時に色や形が浮かび上がるように描く。これが点描技法だ。この技法を考案したスーラの感性が素晴らしい。「素晴らしい」というありふれた表現しかできない自分が恥ずかしい。彼が31歳という若さでこの世を去ったのは、美術界にとって損失であったと思う。長生きをしていたら、どれほどの作品を残しただろう。いや、案外作品に行き詰まり、絵筆を折るようなことになったかもしれない。いずれにしろ、過去は変えられない。
天使に見えたルームメート
その後ホテルに戻った。食後のバーには行かずに、私は部屋に戻った。お酒を飲まない人同士がルームメートになるように部屋割りをしたと聞いた。疲れていた私たちはシャワーを浴びるとすぐにベッドに入った。私はあっという間に眠りについた。
夜中に目を覚まして隣を見たら、彼女の姿がない。バスルームにいるのかと思った。しかし、そこにもいなかった。まさか一人で外出したのかしらと心配になった。リーダーに連絡しようとベッドサイドのテーブルに手を伸ばした。その途端、大声をあげそうになった。彼女はベッドでスヤスヤと眠っていたのだ。
北欧系の彼女は肌の色も驚くほど白かった。髪の毛も薄い金髪だった。その上痩せていた。白のTシャツ一枚だけ纏って眠っている彼女は、コンタクトレンズを入れていない裸眼の私にはシーツと同化して見えなかったのだ。美術館で天使の描かれた絵画を観たばかりだった。私の目には、彼女の姿は天使のようだった。次の日にその話をしたら、彼女は大爆笑していた。「警察に失踪届を出されなくて良かったわ」と。
その後、私はこの美術館に何度も通うことになる。母や妹を連れていったこともあるが、一人で行くことが多かった。母や妹はそれほど美術に強い関心があったわけではない。しかし「このスーラやその他何点かの有名な作品は観たい」と言ったので、車を走らせた。
あの日出会った衝撃を、今でも時々思い出す。手元に置いておきたくて、後にこのジョルジュ・スーラ画集を購入した。ページをめくるたびに、あの展示室の空気を思い出す。



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