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世界最速のジェットコースター
このサークルでは美術館だけでなく、遊園地に行ったこともあった。(前回の記事はこちら:第8.23章:シカゴ美術館とスーラとの出会い)当時、世界最速のジェットコースターがあったシカゴのグレートアメリカに遊びに行った。当然、みんなのお目当てはそのジェットコースターだ。しかし、一人の男子学生が怖くて乗りたくないと言う。高所恐怖症や三半規管が敏感な人は乗らない方が良いということを、その時の私はまだ知らなかった。
無理やり乗せられた彼
しかし、やんちゃな男子学生たちが、彼を無理やりジェットコースターに乗せてしまった。私は大したことはないと思っていた。しかし、彼はジェットコースターから一人で降りることもできなかった。真っ青な顔でベンチの上に横たわっている彼を見た時は、心底心配した。
その時は美術館がメインの旅行ではなかった。だから、他の学部の学生も多く参加しており、私は違う学部の彼のことを何も知らなかった。幸い、しばらく休んだら気分も良くなったようだった。そのまま小旅行に参加し続けられたので、ほっとした。
それ以来、たとえコーヒーカップの乗り物でも、乗れないという人に「大したことないよ、一緒に乗ろう」などと誘うことはなくなった。ちなみに、この世界最速だったジェットコースターは、7年後に日本の読売ランドにある別のコースターにその一位の座を奪われてしまう。
母と過ごした遊園地
当然、この遊園地にも母と妹を連れていった。大学卒業後すぐに結婚して私を授かった母は、まだ当時40代だったはずだ。私に付き合って遊園地など様々な場所に付き合ってくれた。このグレートアメリカに行った時も、もちろん、このジェットコースターに一緒に乗った。日本のようん並ばなくてもすぐに乗れるので3回連続で乗ったと記憶している。果たして母は楽しめたのだろうか。昨年母を亡くした私は、今になって、もっと母が好みそうな場所に連れていってあげれば良かったと後悔している。
シアーズタワーとバーガーキング
当時、世界で一番高いビルであるシアーズタワー(現在はウィリス・タワー)(https://www.willistower.com/)に行った時のことだ。世界で一番高いビルなんて流石アメリカだと、母はさまざまな角度からシカゴの街を眺めていた。その帰りに、その時にはまだ日本にはなかったバーガーキングでワッパーを食べた。食の細い母はその大きさに目を丸くしていた。当然、半分も食べられなかった。「なんだか大味ね、でもアメリカらしい食べ物ね」と言った母に、「繊細な日本の料理と比べたらダメだよ」と言ったことを覚えている。
レストランで見た母の気遣い
レストランに行っても、前菜とメインとデザートだけの最小限のコースにしても、やはり母は半分以上も残してしまう。ウエイターやウエイトレスが「美味しくなかったのか?」と心配そうに聞くので、私は困った。「母を見て。細いでしょう?このどこにこんなに多くの食べ物が入ると思う?」と冗談にして言い訳をした。英文科を卒業した母は日常会話はできたので、「残してごめんね。胃が小さいから入らないのよ。でも美味しいわ」と謝りながら料理を褒めていた。
テイクアウトも勧めてくれたが、ホテルに泊まっているからと言うと、「明日の朝食にすれば良いのでは」と提案してくれた。しかし、翌日に冷たくなった油の多い食べ物を食べることはないと思ったので、心苦しかったが断った。母は気を遣ってチップをはずんだので、私もほっとした。少なくとも、彼らや彼女は自分たちのレストランの食事が美味しくなかったとか、サービスが悪かったとか誤解していないはずだ。
レストランで見た母の気遣い
レストランに行っても、前菜とメインとデザートだけの最小限のコースにしても、やはり母は半分以上も残してしまう。ウエイターやウエイトレスが「美味しくなかったのか?」と心配そうに聞くので、私は困ってしまった。「母を見て。細いでしょう?このどこにこんなに多くの食べ物が入ると思う?」と冗談にして言い訳をした。
テイクアウトも勧めてくれたが、「ホテルに泊まっているから」と言うと、「明日の朝食にすれば良いのでは」と提案してくれた。しかし、翌日に冷たくなった油の多い食べ物を食べることはないと思ったので、心苦しかったが断った。母は気を遣ってチップをはずんだので、私もほっとした。少なくとも、彼らや彼女は自分たちのレストランの食事が美味しくなかったとか、サービスが悪かったとか誤解していないはずだ。
お茶うどんになった和食店
アメリカの食事ばかりだったので、母がさっぱりした料理を食べたいと言った。それで和食のお店を見つけて入った。すると、そこは中国人の経営しているお店だった。料理人から従業員まで、全て中国の人だった。
昔から腎臓が悪い母は、異常なほど薄味を好む。しかし、注文したうどんは母には味が濃すぎた。お店の人が見ていない隙にお茶を入れて味を薄めた。それでも濃かったので、私のお茶まで入れて味をさらに薄めた。もはや普通のうどんではなく、オリジナルのお茶うどんになってしまった。それでも母は嬉しそうに食べていた。でも、完食はしなかった。今度は味の問題だろう。
「芸者」というレストラン名で、日本人ではないシェフが料理している可能性があることに気が付かなかった。悔やんだが、後の祭りだった。
リベンジのお寿司
その夜は、ホテルのフロントの人に聞いて、日本人シェフのレストランに行った。お寿司を食べた。母は味よりも値段の安さに驚いていた。「この値段でこの味だったら合格よね」と、ミシュランのガイドのように評価をしていた。
5歳年下の妹がイギリスとスペインに留学した時にも、オーストラリアで仕事に就いた時にも、母は何度か妹に会いに行っている。やはり同じように、妹は母の食事に頭を悩ましたのだろうか。
今シカゴを訪れるなら、シアーズタワー(ウィリス・タワー)の展望台「スカイデッキ」は今も健在だ。ガラス張りの床から下を見下ろせる「ザ・レッジ」は必見のスポットになっている。当時の母と見た景色を、今の読者にも味わってほしくて、地球の歩き方 シカゴ 2026~2027を紹介しておきたい。



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