マンハッタンで銀行員として働いていた頃、ジャマイカを何度も訪れた。きっかけは偶然の縁だったが、そこで見た景色と帰国時のハプニングは今でも鮮明に覚えている。
きっかけは友人の婚約者
職場の友人の婚約者が、ジャマイカの旅行業界を取り仕切るグループ会社の御曹司だった。その縁で、銀行の同僚4人でジャマイカを訪れることになった。普通の旅行者ではまず経験できないような旅だった。
私たちは婚約者同士の二人の邪魔をしないよう、全体のツアーや食事以外は別々に行動した。ムキムキのジャマイカ人の彼がブロンドの彼女を誇らしげに連れている姿は、絵になるカップルだった。結婚式を楽しみにしていた。
だが、婚約は破棄された。後に噂で聞いたのは、人種と宗教の問題で彼女の両親が反対したということだった。
ヴェルサイユ宮殿のような邸宅、巨大なホームシアター、数えられないほどのメイドの数
御曹司の自宅は想像をはるかに超えていた。門をくぐってから自宅の玄関にたどり着くまで、長い道をひたすらスポーツカーで走る。建物は美術館と見紛うほどの広さと格式があった。
敷地内には高級車がずらりと並んでいた。そんな中に、数台だけ日本車があった。「メイド用の車」で、当時の日本車の立ち位置を、思いがけない形で実感した瞬間だった。
巨大なホームシアターがあったが、映画は見なかった。映画はNYでも見られる。ジャマイカでしかできないことが、外にはいくらでもあった。
ダイビングと真っ赤な夕日
ジャマイカでの日々は、マリンスポーツ一色だった。シュノーケリング、スキューバダイビング、ジェットスキー、パラセーリングばかりしていた印象が強く残っている。カリブ海の透明度は格別で、水槽で泳いでいるような感覚に陥った。NYの喧騒が遠い世界のように感じられた。
夕日を見に行ったとき、私たちは少し距離を置いた。二人だけにしてあげたかった。恐ろしいほど真っ赤な夕日が海の向こうに沈んでいく光景を、あのカップルがどんな言葉で語り合ったのかは知らない。
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じゃらんnet帰国時のハプニング
初めての帰国のとき、空港でスーツケースを開けられた。部署の全員に買ってきたコーヒーのお土産の小袋が山ほど詰められていた。係員はそれを一袋ずつ、丁寧に開封していった。
「なぜこんなに同じものを持っているのか」と何度も聞かれた。「文化の違いだ。日本では職場全員にお土産を買うのが習慣なんだ」と説明したが、なかなか理解してもらえなかった。最後には靴まで脱がされて調べられた。
悲しかった。お土産の概念がない文化から見れば、怪しく映ったのだろう。それは理解できる。でも、一袋ずつ丁寧に選んだものを次々と開封されていく光景は、やはり切なかった。
帰国後、親しい友人たちには事情を話した。テープで修繕した開封済みのコーヒーを手渡しながら、一緒に笑った。開封されなかったものは、上司へのお土産として無事に渡すことができた。
まとめ
ジャマイカは何度訪れても飽きることのない場所だった。カリブ海の青、真っ赤な夕日、御曹司の邸宅、そして帰国時のハプニング。1980-90年代のNY銀行員生活の中で、特別な思い出として今も残っている。ジャマイカへの旅行を考えている方はこちらから宿を探してみてください。
海外では、自分の「常識」が通じないことがある。それは身分証明書の失効に限った話ではない。お土産ひとつにも、文化の壁は存在する。それもまた、海外生活が教えてくれた大切なことのひとつだ。
あの夕日の前に並んで立っていた二人が、その後どんな道を歩んだのかは知らない。ただ、あの景色だけは、今も変わらずそこにあるはずだ。


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