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スーパーマーケットで驚いていた母
ウィスコンシンの大学に留学中の私の所に、母が初めて遊びにきた時のことだ。母はしばらく私のアパートに滞在していた。スーパーマーケットにも一緒に買い物に行った。母は広々とした駐車スペースに驚き、巨大な店内を物珍しげに眺めていた。肉のパックの大きさや、1ガロン(1 Gallon):約3.8リットルの牛乳には言葉も出ないといった様子だった。そして、その値段を見てあまりの安さに笑い出した。
私たちにはそんなに買う物はないのに、大きなスーパーマーケットの中を隅々まで見て、いろいろな商品を手に取っては繁々と眺めていた母の姿を思い出す。
りんごを剥く用途や缶詰を開けるための家庭用の機械を見て、「なぜ包丁を使わないのかしら?」とか「缶詰なんてそんなに使うことないのにね」と感想をもらしていた。パーティで大量のアップルパイを作ることを説明すると納得していた。父は五人兄弟の五男だが、お盆とお正月には、父の兄たちの家族が全員実家に集まる。総勢23人。父の実家は栃木県の田舎だったので、家も大きかったし、部屋数も多かった。母はその話をしながら、「大勢が集まる時にりんごを剥く機械は確かに便利よね」と言っていた。
しかし、缶詰を防災用品の一種という認識でしかない母は、缶詰が常食であることには驚いていた。栄養価や食品添加物について、身体に悪くないかと心配してもいた。そう、母は健康オタクなのであった。
友人宅で見せた反応
実際、友人が自宅に母と私を招いてくれた時のことだ。彼女はどこの家でもしてくれるように、家中のツアーをしてくれた。母はベッドルームや屋根裏を見せてくれようとする友人に、「なんだか申し訳ない」と遠慮をしていた。自宅のツアーをすることが伝統で当たり前のことだからと説明すると、「本当に失礼ではないの?」と言いながらも、遠慮をしてあまり詳細まで見ないようにしていた。
キッチンで冷蔵庫の中までも見せてくれた時には言葉もなかったようだ。しかも、友人は巨大なタッパーウェアに入っていたチキンスープまで開けて見せてくれた。「これは母の得意料理なのよ」と自慢げに言っていた。しかし、その後に缶詰が詰まった棚を開けて見せてくれた時には、母は「一体何人家族なの?」と聞いてきた。4人家族だと伝えると、地震などの自然災害が多い地域なのかと心配そうに私に尋ねる。
そのことを友人に伝えると、「日本では缶詰は食べないの?」と反対にびっくりした様子だった。他の日本家庭は知らないけれど、我が家では缶詰はほとんど食べないというと、今度は友人が「では一体何を食べているの?」と聞き返してきた。缶詰は使わないで生の食べ物を調理すると言うと、「確かに寿司は生よね。日本人は生の食事が好きなのね」と勝手に自己完結していた。
私自身も、大学の寮でミートソーススパゲティーの缶詰をお皿に移すことなく、缶詰から直接食べているルームメートを見た時は目を疑った。スパゲティーをミートソースと一緒に1つの缶詰にする発想自体が信じがたい。スパゲティはソースを吸ってしまい、もはやうどんにしか見えないことに愕然とした。缶詰から直接食べるスパゲティは温められていないし、味を想像するのも怖かった。
誰も来なかったウィスコンシン
母は何回か、妹は1度ウィスコンシンに遊びに来てくれた。2人共、最初の感想は「何もないね」だった。そのことを友人に伝えると不思議そうに私に聞いた。「道路もあるし、車も走っているし、畑もある、牛もいるのに、何もないってどういうこと?」母や妹が言っていることもわかる私は言葉に詰まった。
ある日本の友人に、人口よりも牛の数の方が多いと書いた手紙を送った。すると、「北海道の大学に進学したと思っているよ」という返事をもらった。北海道は日本にもあるから、帰国したら遊ぼうねと手紙は締めくくられていた。アメリカに留学すると言った時には「絶対に遊びに行くからね」と言っていたのに、随分冷たいなと思った。しかし、私が反対の立場でも同じ反応だっただろうと思う。
当然、母と妹以外は誰もウィスコンシンには遊びに来てくれなかった。父は仕事でシカゴに来ることが度々あったが、私が試験中だと聞くと、次の機会に会いに行くと言った。そして、その次の機会には父の仕事の予定で、私との時間は取れなかった。
しかし、ニューヨークに引っ越したとたんに、次から次へと友人たちが遊びにきてくれた。なんて現金なんだと思いながらも嬉しかったことを覚えてる。大学時代ならいろいろな所に案内する時間が有り余るほどあったのに、仕事をし始めたばかりの私は自宅に泊めてあげて、夕食にレストランに連れていってあげることが精一杯だった。行きたい場所を聞いてくる友人に、行き方を説明することだけしかできなくて申し訳なかった。もう少し待ってくれれば、私も有給休暇が取得できるのに、と思った。しかし、友人たちにも事情がある。「泊めてもらえるだけで嬉しいよ」と言ってくれた。
それでも、唯一週末だけは観光ガイドになれた。しかし、メトロポリタン美術館よりもブランドのお店に興味のある友人の方が多かった。そして実際に、ブランドのお店で高価な買い物をする友人たちの通訳をしながら、本当に購入する気があるのかと疑っていた。私にとってはとても手が出ない金額だったからだ。しかし、惜しげもなくその小さなアクセサリーに大金を払う彼女たちの財力には開いた口が塞がらなかった。バブルの日本には敵わない。



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