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はじめに
あまりにも断り続けていたせいか、両親や伯母たちからこう言われた。「すぐに断るのではなくて、少しお付き合いをしてみたら」と。
その言葉に従い、複数の男性と同時にお付き合いをしてみた。自分でも最低だと思うが、どうしても比較をしていた。
偏差値で男性を測っていた私
気がついたら、学歴、経歴、仕事、身長—明らかに数値化できる要素だけで偏差値を出していた。嫌な女だと自分を蔑みつつも、お互い様だと割り切った。相手も同じように私を測っているはずだ。
しかし不思議なもので、どんなに偏差値が高くても心は動かなかった。
京都・菊乃井での食事
私が東京に行くばかりではなく、数回お付き合いをしていた相手は大阪まで会いに来てくれた。そんな時は京都の料亭・菊乃井で食事をすることにしていた。父がよく利用していたので予約を取ってもらい、お見合いであることも伝えていた。
祝日の3連休には、3日続けて別の男性と食事をしたこともあった。あっという間に体重は増加し、慌ててスポーツジムに入会し、時間があれば泳いでいた。
菊乃井は本店ではなく、露庵の方だ。本店には個室しかなく、一度大学で研究をしている男性と食事をすることになり、沈黙大会のようになってしまって懲りてしまったのだ。カウンターのある露庵なら、話が続かない時にはカウンターの中から板前さんが話を弾ませてくれた。
ちなみにその男性は話し下手なのか、声も小さく、テーブルを挟んでいたせいか聞き取れないこともあった。
「家を建てて、地下に広い書庫を作りました。このお話がまとまれば、どうぞ好きなだけお使いください。」
そう言われた時、私は「書庫」を「車庫」と聞き間違えていた。好きなだけ車を置ける車庫とはどのくらい広いのだろう—そんな想像から、ようやく会話の糸口が見つかった。しかし後で車庫ではなく書庫だったと気づいた。書庫なるものは実家にはなく、せいぜい本棚だった。
それ以来、その男性には「書庫の人」というニックネームをつけてしまい、結局最後まで名前を覚えることはなかった。
食事代とタクシー代は男性が出す時代
その時の食事代は父が出していた。いつもご馳走になってばかりで肩身が狭かった私はほっとした。
当時は食事代もタクシー代も男性が出すのが当たり前の時代だった。しかし私はアメリカにいたこともあり、男性にばかりご馳走になることに非常に抵抗があった。時には割り勘が当たり前のニューヨークでの生活が、知らず知らずのうちに私の感覚を変えていたのだ。
気づいたこと
偏差値では測れないものがある。数値化できない何か—フィーリング、空気感、沈黙の心地よさ—そういうものが、実は一番大切なのかもしれない。これから一生一緒に暮らしていく人だ。偏差値など何の意味もない。
銀婚式を迎えた今も親友同士のような関係でいられる夫とは、やはり巡り合うべくして出会い、結ばれるべくして結婚したのだと思っている。



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