第15章:銀行で外貨ディーラーのアシスタントに|英語力と仕事力は別物だった

*この記事にはアフィリエイトが含まれている場合があります。

為替売買の補助業務

外貨ディーラーのアシスタントである私は、ディーラーと顧客の間で為替売買の補助を行った。ディーラーに電話をしてレートを聞き、そこにスプレッドを乗せて顧客に伝える。取引が成立すると、その旨をディーラーに報告する。

為替レートは一瞬で変わる。大きな金額の取引を素早く計算して顧客に伝え、「ディール」が決まればその金額をディーラーに告げる。ドル円だけでなく、スイスフランやその他の通貨も扱った。会話はすべて録音され、一切の間違いが許されない仕事だった。素早い計算に神経を削られるのはもちろん、南第15章:銀行で外貨ディーラーのアシスタントに|英語力と仕事力は別物だった

第15章:銀行で外貨ディーラーのアシスタントに|英語力と仕事力は別物だった

為替売買の補助業務

外貨ディーラーのアシスタントである私は、ディーラーと顧客の間で為替売買の補助を行った。ディーラーに電話をしてレートを聞き、そこにスプレッドを乗せて顧客に伝える。取引が成立すると、その旨をディーラーに報告する。

為替レートは一瞬で変わる。大きな金額の取引を素早く計算して顧客に伝え、「ディール」が決まればその金額をディーラーに告げる。ドル円だけでなく、スイスフランやその他の通貨も扱った。会話はすべて録音される。つまり、一切の間違いが許されない仕事だった。素早い計算に神経を削られるのはもちろんのこと、南部訛りの強いアクセントに慣れるまでにも相当な時間がかかった。

一瞬の判断ミスが会社の損失に直結する世界だった。そのため、常に神経を張り詰めていなければならない。今思えば、あれはまぎれもなく激務だった。

引き継ぎはわずか1週間

マーケットが閉まると、午後はその日の取引をまとめた書類作成に充てた。大学時代はMacを使うことが多かったため、銀行専用のPCにはなかなか慣れることができなかった。

日本では入行後に長い研修期間が設けられると聞く。しかし、私の場合は唯一の新入社員だった。そのため、前任者からの引き継ぎはわずか1週間しかなかった。銀行特有の専門用語にも不慣れで、四苦八苦の毎日だった。

為替アシスタントのリアルな一日(午前)

朝9時、ニューヨーク市場が本格的に動き始めると、職場は一気に戦場と化した。

顧客からの注文が次々と入り、私はディーラーと顧客の間で為替レートを取り次ぐ。レートは一瞬で変わるため、瞬時に計算しながら取引をまとめていく。受話器を置いたと思ったら、すぐ次の電話が鳴る。その繰り返しで、息をつく暇もない。

外国為替市場で最も取引が活発になるのは、ニューヨークの午前中だ。なぜなら、この時間帯はロンドン市場とニューヨーク市場が重なるからである。世界中から注文が集中し、ディーリングルームは緊張感に包まれる。誰もが時計とレートボードを交互に睨みながら、次の一手に備えていた。

為替アシスタントのリアルな一日(午後)

ロンドン市場が閉まると、市場の流動性は徐々に低下する。しかし、午後も気は抜けない。銀行間では、その日の資金の過不足を調整する取引が活発になるからだ。具体的には、FRB(地区連銀)に預けている準備預金の余剰資金を、1日単位(オーバーナイト)で貸し借りする「フェデラル・ファンド取引」である。

そんな市場の切り替わりの裏で、私も動き続けていた。午前中に成立した数多くの取引を確認書類にまとめる。さらに、合間には顧客からの問い合わせや追加注文にも対応する。午前中の慌ただしさとは違い、午後は事務処理が中心になる。だが、一つのミスが大きな損失につながる世界であることに変わりはなかった。

幸い、私の担当顧客はすべて法人だった。当時、ニューヨークで個人向け外国為替取引を積極的に扱っていた邦銀は、2行だったと記憶している。その後、私が勤務していた銀行は、そのうちの一行と合併することになる。

こうして、ディーラー、営業担当者、そして私たちバックオフィスをつないでいた。一本一本の電話が、何百万ドルもの取引を動かしていたのである。1989年当時、外国為替市場はまだインターネットも電子取引も普及していなかった。つまり、電話がすべての命綱だったのだ。

駐在員の通訳・翻訳

さらに、駐在員の通訳・翻訳という業務も任された。当時の駐在員は、赴任前の数ヶ月間、英会話スクールに通ってから転勤する人が多かった。稀に帰国子女もいたが、日本語に課題を抱えるケースもあった。いずれにしても、通訳・翻訳業務は欠かせなかった。

現地採用アシスタントたちの奮闘

私の部署にいた現地採用のアシスタントたちは、全員が経済学部とは縁のない専攻の出身だった。そのため、駐在員たちが当たり前のように使う金融用語が、まったくわからないこともしばしばあった。

そこで副課長のすすめで、経済関連の本を借りて読み、勉強することになった。畑違いの専攻から飛び込んだ以上、現場で使われる言葉を一つひとつ覚えていくしかなかった。

一方で、銀行用語には人一倍詳しい上司たちは、英語にはあまり慣れていなかった。ある日、上司から真顔でこんな質問が飛んできたことがある。

「Of courseのスペルはof? それともoff?」

辞書さえひけばわかることだ。なぜ私の仕事の手を止めさせてまで聞くのか、当時の私には理解できなかった。金融の知識では誰よりも頼りになる上司が、英単語のスペルでつまずく。その光景を見て、私はあらためて実感した。英語力と仕事力は、本当に別物なのだと。

その上、私の上司はパソコンが苦手だった。他のアシスタントたちの上司は自分でパソコン入力をこなしていた。しかし、私の上司のパソコンの入力作業は、結局すべて私の業務となった。おかげで私は、現地採用アシスタントの中で残業時間が一番長かった。

時には、日付変更線が変わる直前になって上司がそのことに気づく。すると急いで社用車を手配してくれたこともあった。

英語力と仕事力は別物

お世辞にも流暢とは言えない英語で仕事をこなす上司たちを見ていて、気づいたことがある。英語ができる人が仕事のできる人とは限らない。その反対もしかりだ。語学力と仕事力は、別物なのだと実感した。

まとめ|英語力と仕事力、そして激務の中で学んだこと

為替アシスタントという仕事は、華やかな金融の世界の裏側で、地味だが神経をすり減らす激務だった。電話一本、数字一つの間違いが、何百万ドルもの損失につながる。

その緊張感の中で気づいたのは、流暢な英語を話せることと、仕事ができることはまったく別物だということだった。語学力はあくまで道具であり、現場で本当に問われるのは、瞬時の判断力と責任感なのだと、身をもって学んだ。

※英語習得の過程はコラム:受験英語しか知らなかった私がアメリカ留学して30年の翻訳者になった英語学習法4選第8.2章:「アメリカに行けば英語が話せる」は大嘘だった|留学しても英語が伸びない本当の理由に綴っている。

※この激務の中で実際に犯してしまった大きな失敗については→第18章:銀行員として犯した「許されないミス」|為替トレードの世界で起きた私の失敗談に綴っている。

英語力と仕事力、両方を鍛えるには

英語力と仕事力は別物だと痛感したあの日々を経て、今思うのは、実務の現場で本当に使える英語力を身につけるには、机上の勉強だけでなく実践的な会話練習が欠かせないということだ。もし今、当時の自分に戻れるなら、会員数100万人突破!業界No.1のオンライン英会話「レアジョブ英会話」で、日常的に英語を話す習慣をつけていたかもしれない。

【シリーズ一覧】この記事は「1980-90年代NY銀行員のリアル」シリーズの一部である。就職・給料・仕事の実態について、他のエピソードもまとめて読んでもらえると嬉しい→https://usa-journey.com/ny-banker-summary/

コメント