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ニューヨークのクリスマスは、日本のそれとはまるで違う。
街中がイルミネーションに包まれ、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーが輝き、マンハッタン全体が祝祭の空気に染まる。しかし私にとって一番の思い出は、豪華な街の景色よりも、いとこ一家と過ごした温かい時間だった。
日系企業のクリスマスパーティはカップル参加が必須ではなかった
インターン先の旅行会社も、その後勤務した銀行も、日系企業だった。そのためクリスマスパーティにカップルで参加しなければならないというプレッシャーはなかった。
アメリカ人の同僚たちは、子どもをベビーシッターに預けて夫婦で参加することが多かった。しかし日本人の同僚たちには、ベビーシッター制度への抵抗感があったようだ。
「よく知らない大学生に、大切な我が子を預けられない」というのが本音だったらしい。日本人の感覚としては、十分理解できる気持ちだ。
いとこ一家との独特な「お出かけスタイル」
当時ニューヨークの郊外には、夫と娘を持つ私のいとこが住んでいた。
夜に親子3人で出かけることはほとんどなかった。ベビーシッターへの抵抗感があったためだ。そこで独特のスタイルが生まれた。
夜の外出パターンA:私といとこの2人で出かける。夫は自宅で娘と過ごす。
夜の外出パターンB:私といとこの夫の2人で出かける。いとこは自宅で子守。
いとこの夫は別の銀行に駐在員として勤務しており、顧客からさまざまなイベントのチケットをもらうことが多かった。イベントに参加しなければ、顧客との話題にもならない。そこで私がお供することが多くなった。
メジャーリーグで試合終了を首を長くして待った話
何度かメジャーリーグの野球観戦にも行った。
正直に言うと、私は野球に興味がなかった。ルールもほとんど知らなかった。
最初は物珍しさで楽しめたが、すぐに飽きてしまった。スコアボードを眺めながら、「一体いつになったら終わるのだろう」と試合終了を首を長くして待っていた。
後から聞くと、なかなか入手できないほど人気のチケットだったらしい。
豚に真珠とは、まさにこのことだ。
バレエと映画はいとことふたりで
一方、いとことは二人でバレエや映画をよく観に行った。
私は一人でも映画に行っていたが、いとこの夫が「マンハッタンは危険だから一人で行かせられない」という考えを持っていた。そこで私がお供役を担った。ちなみにいとこの方が年上である。
当時のマンハッタンは確かに今より治安が悪かった。いとこの夫の心配は、あながち過剰でもなかった。
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年末年始はいとこ一家と過ごした
アメリカの年末年始の休みは、日本ほど長くない。そのため、いとこ一家が帰国する機会は少なかった。
その代わり、伯父がニューヨークを訪ねてくることもあり、いとこ一家と楽しい時間を過ごした。別の州に住むいとこ一家を訪問したり、留学中のいとこたちと国内旅行をしたこともある。
幸い、私にはアメリカにも親戚が多かった。
アメリカ人にとってのクリスマスとホリデー・ブルー
アメリカ人にとって、クリスマスを一人で過ごすことは大変悲しいことだと聞いたことがある。
実際に「ホリデー・ブルー」という現象が存在する。クリスマスの時期に、家族が集まる中で孤独感やストレス、抑うつ気分を感じる人が増える現象だ。
にぎやかな季節であるほど、一人でいる寂しさが際立つ。それはアメリカも日本も変わらないのかもしれない。
まとめ
1980〜90年代のニューヨークのクリスマスと年末年始は、いとこ一家との温かい思い出に彩られている。
野球に全く興味が持てず、スコアボードを眺めながら試合終了を待ち続けたあの日も、今となっては笑える思い出だ。
異国の地で家族のような存在がそばにいること—それが、ニューヨーク生活を支えてくれた一番の力だったと思う。
このブログでは、1980〜90年代のニューヨーク銀行員生活のリアルを綴っています。他の記事もぜひご覧ください。



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