第28.5章:NYから帰国して感じた日本へのカルチャーショック|漫画・衣替え・専業主婦・そして翻訳者への道

*この記事にはアフィリエイトが含まれています。

ニューヨークでの生活を終えて日本に戻った時、私はまるで異国に来たような感覚を覚えた。生まれ育った国のはずなのに、あちこちで違和感を覚えた。


電車の中で漫画を読む大人たち

帰国後、最初に驚いたのは電車や地下鉄の光景だった。

スーツ姿の大人の男性が、真剣な顔で漫画本を読んでいる。

アメリカでは、漫画は子供が読むものという認識が一般的だ。大人が公共の場で漫画を読むという光景は、ニューヨークではまず見かけなかった。正直に言えば、その光景に知性の低さのようなものを感じて、恥ずかしくなってしまった。

もちろん今となっては、日本の漫画が世界的な文化として高く評価されていることは十分わかっている。しかし当時の私には、NYとのギャップがあまりにも大きく、素直に受け入れられなかった。


衣替えという文化

もう一つ、帰国してすぐに面倒くさいと思ったのが衣替えだ。

ニューヨークでは、季節に関係なく好きな服を着ることができた。ダウンジャケットを羽織る女性の隣に、半袖のTシャツを着た男性がいる——そんな光景は当たり前だった。誰も気にしない。自分が快適に感じる服を着ればいい、ただそれだけだ。

同時期にNYに住んでいたいとこも同じ意見だった。「アメリカではどんな季節でも好きな洋服を着られてよかった」と、二人でよく話したものだ。

日本に戻ると、季節ごとに衣類を入れ替えるという作業が待っていた。夏服への衣替えは6月1日で、冬服への衣替えは10月1日。日付まで指定されている。そのルールに縛られることが、なんとも窮屈に感じた。


ままごとのような新婚生活と、フルコースになった夕食

結婚してからの生活は、文字通り何もないところからのスタートだった。

出会ってから半年で結婚した上に、二人とも結婚まで親元にいたため、家具はもちろん食器すら何も持っていなかった。お茶碗とお箸から揃えなければならなかった。結婚当初はとにかく足りないものだらけで、毎日デパートへ日用品を買いに行くのが日課だった。

生活が少しずつ整い始めると、私は料理に時間をかけるようになった。もともと料理は好きだったが、NYでの銀行員時代は忙しすぎてゆっくり作る余裕がなかった。デミグラスソースを3日かけて作ったこともある。

しかし仕事で多忙を極めていた彼の帰りは遅かった。待っているうちに1品、また1品とどんどん料理が増えていき、気づけばフルコースになっていた。彼も遠慮があったのか、残さず食べてくれた。

そしてあっという間に太った。

彼の両親や親戚に会うたびに、遠回しにこう言われた。「あまり料理の腕を振るいすぎないでね」と。


夫の糖尿病予備軍診断が、私を外に出した

転機は、夫の健康診断の結果だった。

お酒を一滴も飲まない。甘いものもほとんど食べない。そんな夫が、糖尿病予備軍という診断を受けた。

原因は明らかだった。私の料理だ。

その日、私は外に出て働くことを決めた。夫のためでもあり、自分のためでもあった。暇を持て余す専業主婦生活に、どこかで限界を感じていたのも正直なところだった。


初めての就活と、翻訳という仕事

日本で就職活動をしたことが一度もなかった私は、とりあえず転職エージェントのドアを叩いた。

「翻訳の仕事がしたい」

そう伝えると、最初に紹介されたのは大手外資系証券会社の翻訳部門だった。本社から離れた場所にあったが、幸い自宅から近かったため、そこに決めた。

しかしいざ仕事を始めてみると、翻訳とは思っていた以上に奥が深く、簡単なものではないと気づいた。そこから翻訳学校への通学が始まることになるのだが、そのエピソードは、第29章:バイリンガルと翻訳者は別物だった|証券翻訳・10年の専門学校・TOEIC満点への道に綴っている。

通訳や翻訳、英文事務に至るまで日本の会社が一番重視しているのがTOEICの点数だ。翻訳だと最低で900点、最高で960点の点数を求められた。なるべく早く高得点を出すにはTOEIC専門の学校に通学することをおすすめする。


バブル崩壊後の日本と、「Japan as No.1」の終焉

帰国した頃の日本は、不景気だった。

NYで浮かれた時代を過ごしていた私には、「Japan as No.1」と言われた時代が終焉を迎えたことが、なんとも寂しかった。ニュースでも新聞でも、経済的な話題は落ち込む内容ばかりだった。

NYにいた頃、日本はバブルの絶頂期にあった。マンハッタンのビルを日本企業が次々と買い漁り、「日本がアメリカを買う」とまで言われた時代を、私はニューヨークで目撃していた。

それが今や、失われた時代の入口に立っている。帰国した日本は、私が知っていた日本とは少し違う国になっていた。


まとめ

NYから帰国して感じたカルチャーショックは、単なる「日本への違和感」ではなかった。それは、自分がどれだけアメリカの価値観に染まっていたかを気づかせてくれる経験だった。

そして専業主婦として料理に明け暮れた日々も、夫の健康診断の結果も、すべてが翻訳者としての再出発へとつながっていった。

人生には、思わぬところに転機が潜んでいる。


カルチャーショックと専業主婦の生活を経て、私がどのようにして外資系証券の翻訳者へとステップアップしていったのか。その具体的な道のりと、TOEIC満点への軌跡は次の第29章:バイリンガルと翻訳者は別物だった|証券翻訳・10年の専門学校・TOEIC満点への道に続きます。

コメント