第10.5章:バブル期のニューヨーク|日本がマンハッタンを買い漁っていた頃の目撃談

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はじめに

1980年代後半、日本は空前の好景気に沸いていた。三菱地所がロックフェラーセンターを購入し、安田火災海上保険(現・損保ジャパン)がゴッホの「ひまわり」を当時の絵画落札最高額となる約53億円で競り落とした。五番街は日本人観光客で溢れ、高級ブティックには日本人のスタッフが数人必ず常駐していた。

そんな時代、ウィスコンシン州の大学を卒業したばかりの私は、マンハッタンの日系旅行会社でインターンをしていた。お金も地位もないただの新人だったが、その目でバブル期のニューヨークを目撃した。


バスの車内アナウンスとブーイング

ある日、マンハッタンのバスに乗っていると、運転手がジョークを飛ばした。

「次の停留所はMitsubishi Estate(三菱地所)前。ロックフェラーセンター前ではありません。」

車内に笑いではなく、ブーイングが響いた。絡まれたら嫌だなと思ったが、それ以上のことはなかった。ニューヨーカーたちが日本の「買い占め」に苛立っていることは、こういった場面から伝わってきた。

高級住宅地が日本人村化していくことへの反感も、当時のニューヨーカーの間では広がっていた。


ティファニーが高校の校舎になった日

五番街のティファニー本店に入ると、東京の有名私立女子高の生徒たちで溢れ返っていた。修学旅行でニューヨークに来ていたのだ。

ガラスケースの前に制服姿の女子高生がひしめき合い、店員が対応に追われている。ティファニーの1階が、まるで高校の校舎と化していた。店舗を後にする時には両手が塞がるほどお土産を買っていた。当時流行っていたオープンハートシリーズはたちまち品切れになっていた。ウィスコンシンから出てきたばかりの私には、異様な光景に映った。

フェラガモの店内では、イケメンの店員が若い日本人女性の足元に跪き、次々と靴を履かせている光景を見た。日本円の購買力が、マンハッタンの高級店の風景を一変させていた。


高級ホテルで起きた珍事

当時、インターンとして働いていた旅行会社に、日本のある宗教団体が宿泊をしていた。教祖様と大勢の信者が、ウォルドルフ・アストリアという高級ホテルを宿泊先にしていた。

その団体、チップとして100ドル紙幣を渡すので、ホテルのボーイたちの間で争いが起きていた。さらに会社は、ロビーに24時間サービスデスクを設置していた。真夜中でも 「おにぎりと味噌汁を用意してほしい」などというとんでもないリクエストを日本レストランと提携してこなしていた。当時の日本のお金の力と、それに振り回される人々の姿を目の当たりにした。

バブル期に日本人観光客が愛用したウォルドルフ・アストリアは現在もニューヨークを代表する高級ホテルだ。
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バブルの終焉

その後、日本のバブル経済は崩壊した。三菱地所はロックフェラーセンターを手放し、「ひまわり」の落札価格は今も話題になる。あの頃、マンハッタンを闊歩していた日本人観光客の姿も、いつの間にか消えていった。

ウィスコンシンから出てきたばかりで、お金も地位もなかった私には、バブルの恩恵など何もなかった。ただ、その狂騒の時代を間近で目撃できたことは、今となっては貴重な経験だったと思う。


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