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アメリカで就職活動をするにあたって、私はまず米系のエージェントに相談した。アメリカに渡って数年、せっかくならアメリカの会社で働きたいと思っていたからだ。ところが、エージェントから届く求人は日系企業だけだった。結局、日系の大手銀行のニューヨーク支店を紹介されることになった。当時の私には英文履歴書の書き方など、誰も教えてくれなかった。もし今の時代に就職活動をするなら、まず1万人を面接した元・外資人事部長が教える 英文履歴書の書き方・英語面接の受け方を手元に置いておきたかった。
それが私にとって、生涯初めての就職面接だった。
スーツという発想がなかった
面接にはスーツで行くものだ、という常識を、当時の私はまったく持ち合わせていなかった。幼少期より、コンサートや改まった席に出るときはワンピースと母に決められていた。だから面接にも、同じ感覚で臨んだ。
1回目はあざやかな赤のワンピース。2回目はやわらかなピンク。そして最終面接には、少し落ち着いた紺のワンピースを選んだ。今思えば赤は大胆すぎたかもしれないが、当時の私にとってはベストドレスコードだったのだ。
3回の面接
面接は計3回あった。
1回目は筆記試験と、米国人の人事担当者による面接。英語でのやりとりに緊張しながらも、なんとか乗り越えた。英語で面接を受けるというのは、語学力だけでなく「準備」が必要だと後になって気づいた。当時の私にはそんな知識はゼロだったが、今なら事前にCD付き 実例でわかる! 英語面接完全マニュアルで準備できる。
2回目は配属予定の部署の課長との面接。仕事の内容や経験についてより具体的に聞かれた。
そして最終面接では、課長とニューヨーク副支店長が同席した。
「希望年収は?」に窮した
最終面接で最も答えに窮したのが、「希望年収はいくらですか?」という質問だった。
ウィスコンシンの大学町とニューヨークでは物価がまるで違う。しかも私には、一般的な新入社員の年収さえわからなかった。しばらく考えたあと、こう答えた。
「いただける年収で、ニューヨークで暮らしていけるようにします」
9日後の電話、そして33倍という数字
面接から9日後、エージェントから電話があった。採用が決まった、という知らせだった。
後になって知ったのだが、この求人の倍率は33倍だったという。なぜ私が選ばれたのか、後日課長に聞いてみた。
答えは意外なものだった。他の応募者の多くは「over qualified」だった――つまり、資格や経験が求める水準を上回りすぎていたのだ。また、給与の質問に対しては「demanding」、要するに条件への要求が強すぎる印象を与えた人が多かったという。
さらにこんなことも話してくれた。当時の部署では、アメリカ人の高卒事務員と、現地採用の日本人大卒・大学院卒の間に微妙な溝があった。そこへ、いかにも田舎者の私が、ちょうどよいバランスをもたらすと判断されたらしい。
何が幸いするか、本当にわからない。赤いワンピースも、「いただける年収で暮らします」という正直な答えも、当時の私には戦略など一切なかった。ただ自分の言葉で答えただけだった。それがかえって、扉を開いてくれたのかもしれない。


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