第13章:マンハッタンで一人暮らし:月1,600ドルのアパート生活

ウエスト56丁目のアパートへ

銀行への就職を機に、私はウエスト56丁目のアパートに居を構えた。ワンルームとキッチン、それにウォーキングクローゼットが付いていた。ブロードウェイ、カーネギーホール、セントラルパーク――ニューヨークの象徴に囲まれたその場所で、私が真っ先に確認したのは最寄り駅までの距離だった。観光名所より、毎朝の通勤。それが正直なところだった。

安全はお金で買うもの

24時間体制のドアマンサービスに、館内のクリーニング店。利便性と引き換えに家賃は跳ね上がり、月1,600ドル、日本円にして約22万円を要した。「アメリカでは安全はお金で買うものだ」とよく言われるが、マンハッタンで暮らし始めてその言葉の意味を身をもって実感した。余談だが、ウィスコンシンで暮らしていたアパートにはドアマンはいなかったが、プールと駐車場もついていてワンベッドルームで広く、月330ドルだった。

父からの仕送りと国際送金

給与だけでは家賃を賄いきれず、父が毎月仕送りしてくれた。国際送金は手数料も高く、手続きも煩雑な時代だった。現在であればWiseのような海外送金サービスを使えば、銀行送金より大幅に手数料を抑えられる。

住人の4分の1が日本人

意外だったのは、住人の約4分の1が日本人で占められていたことだ。日系銀行の寮として使われていたことに加え、徒歩圏内にあるジュリアード音楽院に通う学生たちも多く住んでいた。異国の地にいながら、気づけば日本語が飛び交う環境に身を置いていた。

ニュージャージーの日本人コミュニティ

折しも、従姉妹が夫の転勤に伴いニュージャージーで暮らしていた。そこには日本の食料品から書籍まで何でも揃う日本人コミュニティが形成されており、その充実ぶりには目を見張った。かつてウィスコンシンで、雪解けを待ってシカゴまで往復14時間の買い出しを敢行していた身には、それはまさに夢のような光景だった。

家賃以外の生活費や物価については、こちらの記事で詳しく紹介している。→NYで一人暮らし:1980〜90年代の家賃・物価・生活費のリアル

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