「度胸と愛嬌」にはなれなかった、もどかしい日々
よく「おしゃべりな人は語学の天才だ」と言われるが、確かにそうだと思う。度胸と愛嬌だけで、文法がめちゃくちゃでも会話をこなしていく人を何人も見た。あっという間に話せるようになる彼らが羨ましかった。
でも私にはそれができなかった。奥手で、恥ずかしがり屋。何よりも文法や発音を間違えることが怖かった。
アメリカ大学の洗礼――「発言しない」は「存在しない」と同じ
アメリカの大学では授業中に発言をしないと良い成績はもらえない。いくらテストの成績が良くてもダメなのだ。留学生にはアドバイザーが付き、授業の悩みを解決してくれる。英語が不得手な私には家庭教師がつけられた。その家庭教師は英語学部の学生で、私を教えることで教育学の単位が取れる仕組みだった。まさにウィンウィンの関係だった。彼女のおかげで、私は単位を落とすこともなく卒業にこぎつけた。その彼女とも今でも連絡を取り合っている。
気づけば「頭の中の練習」が消えていた
いつの間にか細かいところまで聞き取れるようになっていた。気づいたら頭の中で練習することなく話せるようにもなっていた。それでも、じっくり学ぶタイプの私は数年間を費やした。実は日本を発つ前、アメリカに行けばすぐに英語はペラペラになると思い込んでいた。楽観主義者の自分が恥ずかしくなるほどの思い違いだった。
【まとめ】急がなくていい
でも、急がなくていい、と今なら思う。自分のペースで積み上げたものは、ちゃんと残る。


コメント