卒業と同時に声がかかった
取得した学位は芸術学部と商業芸術学部、副専攻として美術史。個人情報の扱いが今ほど厳しくなかった時代、1つ目の学位を取得する少し前から日系の会社に就職の声をかけられていた。ウィスコンシンの日系食品会社とロサンゼルスの日系大手証券会社から、何度も面接の誘いが来た。どうして自宅の電話番号がわかったのかと聞くと、大学に教えてもらったという。全米の大学に優秀な日本人学生がいるかどうか問い合わせているとのことだった。それほど優秀でもない私にまで声がかかったのは、当時日本人の留学生が少なかったせいだと思う。
迷わずニューヨークを選んだ
私が選んだのはニューヨークだった。都会での生活も経験したかったから、ウィスコンシンに残る選択肢はなかった。LAかNYか――都会での車の運転に自信がなかった私は、迷うことなくNYを選んだ。就職のあてはなかったが、すでに2社から面接の声がかかっていたのだから、NYで就職できないはずがないと根拠のない自信に満ちていた。今思えば若さゆえの、そして若さだけが持てる特権だった。
人生初の給料
まず日系と米系の就職斡旋会社を経由して、日系の旅行会社2社の面接を受けて、両方から採用の通知をもらった。先に返事をくれた会社に決めたものの、米系の斡旋会社の営業担当者の押しの強さに負けて、後から返事をくれた会社に直前で変更した。営業担当者から「給与の高い会社にする事は当然だ」と説得されたのだが、営業担当者が歩合給(コミッション)で働いていることすら知らなかった私はインターンとして採用された。インターンになるには、採用会社と関連する学部を卒業していなければならない。4年制大学を卒業した私のインターン期間は1年間。芸術学部の学位を持つ私を、美術館ツアーのプランナーとして採用してくれた。インターンのためソーシャルセキュリティタックス(日本で言うところの社会保険料)の支払いも免除された。留学中はアルバイトが禁じられていたので、最初の給料が人生で初めて自分で稼いだお金となった。
※インターン終了後の銀行への転職の経緯は第10章:NY就職:旅行会社から日系大手銀行へ転職|ビザサポートがカギだったに続きます。


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